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2009.01.13

講師の素顔・2009年度

語学教育部門です。

海外帰国子女対象コースで、理数系・日本語教育を担当していた講師による体験談&メッセージです。
学校では管理職を経験し、JSLの分野では特に、知見豊かな講師です。

19xx年私は、西ドイツののYYで家族と夏期休暇を過ごしていました。電気釜を使いご飯をたいている私達の姿を見た方が「どこから来たのか?」と訪ねてきました。「国はどこか?」というのでJapan(ヤーパン)と答えましたが、その人は「キーナ?」(中国)「カンボジア?」・・・日本を知らないのです。

鉛筆とノートを使って世界地図を描いてあげたことが、私の異文化への関心を深める第一歩となり、赴任した日本人学校の中にJSL(Japanese as a second language)(訳:第二言語としての日本語教育)を仲間と設立させ、地域住民へ「日本語を知ろう」キャンペーンを開始しました。

幸いZZは日本企業が多く「日本」の存在は多くの住民が知るところではありましたが、「日本語への興味関心が高いことを感じ、コースデザインを構築する上でJSLへの希望者にニーズ分析を行うことから始めました。

この中で以下の点を明らかにしていくことにしました。

1.現在あるいは将来求められる日本語の必要性。
2.今までの学習法と、身につけた日本語の力。
3.これから行う日本語学習の環境やその背景。

もちろん普段の授業と別枠でのJSLであり、限られた時間の中でのシラバスデザインの構築となりましたが、学習者一人ひとりのニーズが異なり、なんとも暗礁に乗り上げ、投げ出したくなることもしばしばでした。
とにかく試行錯誤を繰り返し、ゼロ初級、初級クラスと多少の日本語を介する学習者を中級として、カリキュラムデザインを作成するために、日本から多くの指導・指南書を送ってもらいました。当時日本語指導を本格的にやったことのなかった我々にとっては教案を目の前に置き、授業を実践していきましたが、学習者の「首をかしげる」しぐさや「あくび」が出るたびに何度も悲しい思いを味合わされました。

試行錯誤は3年という月日を飲み込んでしまいました。
帰国し、後を託したもののあまりにも短すぎた歳月は後悔だけが残りました。

その後、生徒指導困難校への転勤が続き、日本語教育からは遠のく状況が続きました。
しかしながら、ドイツでの3年間の中での日本語支援は、教頭職になってから願ってもない機会に恵まれました。

合衆国での日本語補習校です。派遣前から日本語支援を夢見て、赴任後すぐにJSL開設をお願いし、現地法人スタッフの協力を得て、赴任後2か月で授業を開始しました。導入には特に気を使い、友好的な雰囲気を作り、場を明るくし、情報の提供ではロールプレイやゲームを取り入れていいきました。しめくくりは「学習内容を確認し」「学習上の連絡など次時への期待を持たせて」終了。

しかしながら本当に自分の支援の仕方は正しいのだろうか?見よう見まねで興味本位ではじめた「日本語支援」です。自分自身がしっかりした異文化コミュニケーションや教授法を身につけているわけではありません。片手間でやっていたといえばその通りで、本職は教頭という管理職です。

これからの人生を考えたとき、どうしても捨てられない6年間の海外での体験。多少早い退職であっても私はこれからの人生に日本語支援を賭けていきたいと考えました。

30年以上の教職生活で異文化の中に身を置けた貴重な経験を生かし、置かせていただいた恩返しも含めて、自分自身が「日本語教師」として自立するために正しいシラバスデザインの元、洗練されたカリキュラムで指導され、日本語を必要としている多くの方々のために役に立ちたいと考えています。

・・・部門から補足説明をします。JSL指導経験、理系教員、学校管理職という経験を生かして、日本語教育について専門的に研究を重ねていって、現在は当該分野では、児童生徒の日本語教育の現場での専門家として各方面で活躍しています。ケイ・ランゲージ・ラボ在職中にも欧州に赴任し、現在は教師育成も手掛けています。

5年間の運営の中で、数多くの専門家や現場で経験豊富な講師の方にお世話になり、今日を迎えております。
ケイ・ランゲージ・ラボは講師の力こそが、我々の価値を生み出す原動力になっていると考えています。

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